お買い物こちら

キーワード検索

アンティーク辞典アンティーク辞典

九谷焼とは

素地に描かれる上絵付けの大胆さと、豪放華麗な色使い…これらが九谷焼の最大の特徴であることは万人が認めているところです。
そんな九谷焼の作風には大きく分けて二通りあり、「色絵」(五彩手)と「青絵」に分けられます。
この記事では九谷焼の起源にも少し触れながら、色絵と青絵の違いなどをふまえて九谷焼を紹介していきます。

色手と青絵、二つの九谷焼。その違いとは?

色絵
素地の白色を残すような構成で、黄、紫、緑、紺青、の透明な上絵具と、
不透明な上絵具の赤から成る五彩を使い分けることによって形成されています。

九谷焼 色絵
赤は主の色ではなく、他の色彩を効果的に際立たせる役割として使われていました。
彩色する際、輪郭線として描かれた呉須(ごす)の線のからはみ出したり、塗り潰したりすることによって、呉須の線と絵具が重なることになります。
これによって基本の4色が重なり合い、より複雑な色彩で表現されていきます。

骨董品 九谷焼

構図は窓絵法を基本とし、中には絵画的画題を描きあげて周囲には
幾何学文様(きかがくもんよう・三角形、菱型、多角形、円形などを素材とする文様)や花卉文様(かきもんよう・花柄の文様)が描かれました。

・窓絵法
「窓」と呼ばれる幾何学形態の中央に絵柄を描き入れる方法。
中央に絵柄を置くことによって、絵柄の周囲に程よい余白が生まれ、視線が絵柄に誘導されるなどの効果があります。

青手
素地を上絵付けで余すことなく塗りつぶし、色絵に使う赤以外の四彩のうち二つ、もしくは三つの絵具で着彩されているところが特色です。

加えて茄子、栗、硯と筆などの、これまでに描かれたことのない主題を意表を突く構成でまとめたものが多いことが特長です。
その色彩感覚と構成力は時代を超えて、斬新なものとして近年ますます高い評価を受けるようになっています。

器の形の多くは平鉢と呼ばれるものが多く、大きさは30センチを超える大きさのものも珍しくありません。
また、分銅形(円柱形をかたどったもの)、菱型、相生型(楕円形)などさまざまな形をした端皿(はざら・九谷焼の小皿を言う)も少なくはありません。
上手物になると、九角形の大皿は九角手と呼ばれ、大変珍重されています。
また高台をかなり高く持ち上げた台鉢と呼ばれる独特な形のものもあります。

“九谷”はどこから始まったか?九谷焼の起源

九谷焼のはじまりは江戸時代前期の加賀国江沼郡九谷村で窯を造り焼成されたことからと言われています。
「九谷焼」という名称が一般に使われ、また製造されていたことは、
文献の一節に、金沢の家柄町人である浅野屋次郎兵衛が記した浄全の茶会記録『臘月庵日記(ろうげつあんにっき)』において
「水指、九谷焼が大聖寺藩家老神谷兵庫で行われた茶会にて使用される」
と書かれていることから分かります。
またいつ頃から九谷焼として世に広まったかは明確にはされていませんが、
九谷焼は九谷村にて窯を造り焼成されたということだけは事実のようです。
また、歴史的文献である「加越能山川記」にも「初代前田利治により九谷の地で開窯された」と記されています。

国内外に広まっていった九谷焼

江戸時代後期になると、賀国南部において開かれていた窯には、金沢の春日山窯、民山窯、能美郡の若杉窯、小野窯、蓮代寺窯、
江沼郡の吉田屋窯、宮本屋窯、松山窯などがあると言われています。
これらの各窯には、それぞれ特色のある作風が存在していました。

そして明治以降は、各地域で陶業が発展したこともあり、九谷焼は国内外に知られて行くことになりました。
また、九谷焼の名前が広まるにつれ、金沢九谷、能美九谷、江沼九谷、など、より細分化された呼称も使われるようになりました。

お買い物はこちら